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明日で阪神大震災から15年を迎えます。

テレビで特別番組のドラマがあったので見ていました。

15年前のあの日、私は16歳で、東灘区にある鉄筋コンクリート造4階建ての1階に住んでいました。その日の夜中、2週間前から飼ってるハムスターがずっと騒いでいて、自分の部屋から隣の台所に移し、テーブルの下に置いてまた眠りにつきました。
そして、5時46分。揺れのことは余り覚えておらず、ただ気が付けばベッドから滑り落ちて呆然と座っていたように思います。やっと揺れがおさまった後、真っ暗な中、私を呼ぶ父親の声が向こうの部屋から聞こえて、足下に色んな物があったのですがどうにか父親の部屋に行きました。ベランダのガラスは割れ、大型のブラウン管テレビは台から落ち、余震が次々と襲ってきました。父親がとりあえず外に出ようと言って、水槽が割れて水浸しになった玄関を靴下だけ履いて外に出ました。
外に出るとまだ夜は明けていなかったのですが、電信柱は倒れかけ、道路は地下からマンホールが盛り上がり、木造の家は真っ二つに裂けているのが見えました。200m程離れた場所からは大きな炎が上がっていました。余りの恐怖と寒さで膝の震えが止まらなかったのを覚えています。

父親は私と兄を屋根のある自転車置き場において、お隣さんを助けに行きました。お隣さんはもう80歳近いおばあちゃんで足が悪かったので、ご無事だったのですが外に出すのに時間が掛かっていたような気がします。それから団地中に「大丈夫かー?とりあえず外出よう!!」と大声で呼びかけていました。

その後、私たちは近くの小学校に行きました。みんな着のみ着のままで寒空の下、パジャマ姿や裸足の人もいました。小学校には毛布にくるまっている人、額から血を流している人、赤ちゃんを抱いている人、大勢の人が集まっていました。父親は私たちに「ここを動いたらアカンぞ。」と言って、またどこかへ行ってしまったのですが、近所の人を助けに行っていたようです。木造アパートの下敷きになった幼い姉妹を助けられたと後から聞きました。姉妹の父親が私の父の手を取って、涙を流し、何度もお礼を言っていたそうです。

私はその頃、誰かが校庭に引いてくれたブルーシートの上にしばらく座っていて、固い校庭の土の下からコツコツと突き上げるような感触を不思議に思っていました。大地が怒っているような気がしていました。日が昇って明るくなった時、ハムスターのことが心配になって、兄に見に帰ってもらいました。しばらくして、兄がセーターにくるんだケージを持って来てくれました。夕方になってからは倒壊を免れた自宅に戻り、炊飯器に残った冷たいご飯をサランラップでおにぎりにして、ガスボンベのコンロでラーメンを作って晩ご飯にしました。夜、水も電気も止まり、ベランダのガラスも割れたままの部屋で眠りました。夜の暗闇がとても長く怖かったのを覚えています。後から、自宅は一部損壊の判定を受けました。

次の日、無事だった車に乗って2号線沿いに東へ向かいました。東灘区の東隣はすぐ芦屋市で、その次は西宮市。国道はずっと渋滞で、西宮市に入る手前でガソリンの残りがわずかとなってしまい焦っていたのですが、西宮市に入ってすぐ営業しているガソリンスタンドが見付かり難を逃れました。その先はさっきまでの光景が嘘のように、余り被害がないように見えました。

私は震災後2日目から神戸市のすぐ北、三田市に住んでる祖母の家に居候することになりました。それから学校が始まる直前まで神戸を離れており、テレビを見ないようにしていたので、祖母の家で暮らしたしばらくの記憶があまりありません。

神戸に戻って来てからも倒壊した家はまだそのままで、行き止まりの道が多く、震災後はじめて学校へ自転車で行った時は、道路に飛び散ったガラスでタイヤがパンクしてしまいました。学校の校庭には自衛隊のテントが張られていて、職員室があった校舎は1階が押しつぶされており、立ち入り禁止になっていました。



あれから15年。もう15年。
ドラマを見ながら涙が止まりませんでした。自分の目で見たはずの震災の記憶は大半が失われ、断片的に覚えている光景も薄れつつあります。だけど、確かに15年前に起きた現実。
大好きな神戸の街が変わってしまうのが悲しかった。あの頃の神戸の街は、私が住んでいた場所の光景はもう私の記憶の中にしかありません。2軒あった銭湯も文房具屋さんや八百屋さんも今は駐車場と別のお店になっています。沢山の小さな一軒家が並んでいた場所も大きなマンションに立て替えられました。

31年の人生の中にポツンとある、悲しい記憶。
でも、それでも私は神戸が大好きです。街も人も大好きです。だから、ここを離れません。最期の時まで、神戸に住み続けたいと思っています。悲しい記憶だけれど、人の優しさも暖かさもいっぱいいっぱい知ったから。当時、流れていたCMにこんな言葉がありました。

「人救うのは人しかいない。」

本当にそう思います。だから、人には優しく。小さな優しさは人の命を助けます。優しさで救われる命があるって、それは震災を通してわかったこと。忘れないで生きて行きたいです。
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